指揮者って何がすごいの?小澤征爾が語る指揮者の仕事

音楽

 指揮者って何してるの?本当に必要?手を動かすだけなら誰でもできるのでは?

誰しも一度は、指揮者の役割について疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。

この素朴な疑問に答えるべく、指揮者のすごさについて、指揮者の仕事と求められる能力の2点から考えました。

まとめるにあたり、小澤征爾さんのお言葉を多数引用しています。

この記事を読めば指揮者に対する見方がガラッと変わり、新鮮な気持ちでクラシック音楽を楽しめるようになりますよ。

指揮者の仕事とは

作曲家が書いた楽譜を読んで、こういう解釈でこう信じるから、こういきましょうというのを、身振りでみんなに見せる。するとみんなは、まあ納得しない人もいるだろうけど、まあ七割ぐらいが納得してくれれば、相当うまくいくわけです。

 クラシック音楽の演奏家は、作曲家が残した楽譜を忠実に再現するのが仕事です。

シンガーソングライターのように自分のオリジナル曲を自分で演奏することはありません。

ですが、同じ楽譜で同じ曲を演奏したとしても、一流の演奏にはそれぞれにオリジナリティがあります。

なぜなら、忠実に再現すべき楽譜には、演奏者が解釈する幅が残されているからです。

 

たとえば「音を強く」という指示が楽譜に書かれていたとします。

では、厳密にどの音から強くするか、強さはどの程度か、その強さは重いのか鋭いのか等々、解釈はすべて演奏家に任されます。

 

そして、オーケストラ作品やオペラを演奏する時は、解釈のかじ取り役を指揮者が担います。

一音一音をどのように演奏するか、指揮者がすべての方向性を示すのです。

 

指揮者への反対意見が3割なら上々?!

 "まあ七割ぐらいが納得してくれれば…"という小澤の、演奏家を一つにまとめることの難しさを物語っています。

"音楽ってね、これが正しいってことがないわけ"と小澤は言います。

オーケストラ団員もオペラ歌手もすべてその道のプロフェッショナルで、自分たちの演奏にプライドをもち、確固たる意思をもっています。

指揮者の方針が演奏家と違ったとしても、「あの指揮者が言うなら仕方ないか」と演奏家に思わせる説得力と信頼度が指揮者に求められるのです。

 

調和を生み出す

こうやれというのではなくて、あなたはどう吹きたいの? と。で、ちょっと自分の向きや方向をつくってあげて、それにその人を乗っけてあげる。

 指揮者は楽曲を自分なりに解釈し、その通りに演奏させるだけではありません。

前述の通り、演奏家一人ひとりに意思があります。

ソリストや主旋律を担当する演奏者がどのように演奏したいかを汲み取り、自分と他の演奏者とを溶け合わせる作業が必要です。

 

さらに、演奏者が自由に歌っている感覚のまま、指揮者は理想とする雰囲気やスピードに寄せるよう導いていきます。

これらを演奏中の一瞬一瞬でやりとりする魔法のような所業を、指揮者は身振りと息づかいでこなしているのです。

 

指揮者に求められる能力とは

 指揮者に求められる能力は多岐にわたりますが、音楽的な専門性以外の部分に焦点をあててまとめています。

指揮者に求められる能力
  • 耳の中で音が鳴る
  • 経験の数
  • 自己満足に陥らない
  • 豊かな人間性

耳の中で音が鳴る

頭の中というか、耳だね、耳の中で音が聞こえなきゃいけないわけです、楽譜を見たときに。

 楽曲を研究するうえで、オーケストラの音すべてをピアノで弾くことはできません。

なので、オーケストラスコアを見ただけで耳の中で音が鳴るのが基礎、指揮者のスタートラインに立つ資格を得られるのです。

耳の中で音が鳴って初めて、そこから音に込められた感情や意味について考えることができます。

 

場数の多さ

「経験が大事だ」って言ったことのひとつには、その作曲家の曲をたくさんやったという経験も含まれています。

 いかに多くの楽曲に触れ、研究し演奏してきたか。

場数の多さが指揮者の能力に直結します。

能力があるほど経験を積む機会も増えるので、相乗効果的に伸びていくスキルでもあります。

 

一つの作品を何度も演奏することで、始めは見えてこなかったものが段々と見えてきます。

また、同じ作曲家の他作品に取り組んだことがあるか否かで、一つの楽曲に対する理解の深まり方に違いが生まれるのです。

 

 小澤はウィーン国立歌劇場の音楽監督時の良い経験として、数年に渡って同じ演目に携われたことを挙げていました。

日本でのオペラ公演は一度きりで終わることが殆どですが、欧米の歌劇場では同演目を数シーズンにわたって繰り返し上演するのが一般的です。

同じ演目を繰り返すことで「次はこうしてみればどうだろうか?」という探求心・冒険心が演奏者側に生まれやすくなります。

日本のように一度きりのイベントだと、失敗は許されないという心理が働き過ぎて、演奏にせよキャスティングにせよ無難な方針に流れ、ダイナミックな公演になりづらいのではないでしょうか。

 

自己満足に陥らない

合っているかよりも、音に深さがあることのほうが、みんな満足する

 楽譜を忠実に再現するためには相当の技術が必要なのは間違いありません。

しかし、間違えずに音を出すことだけに終始しては、何のために演奏するのかが分からなくなってしまいます。

 

 ノーミスで演奏できるかどうかを気にしているのは、演奏者自身だけです。

失敗したら自分が傷つくからです。

しかし、観客は演奏者の自己満足を聴きたいのではなく、感情が揺り動かされる体験を求めてコンサートにやってきます。

指揮者は失敗を恐れず、聴きにきてくださった方々が満足できるよう本質的な部分に力を注げる精神力が必要なのです。

 

豊かな人間性

…結局それはね、人間性だと思うんですよ。

 音楽する上で最も大切なことは、楽曲を通して感情を表現することです。

感情を表現するには、演奏者がその感情を理解する必要があります。

喜びや悲しみは人から教わることができません。

実体験はもとより、他者の感情に共感し理解できるようになることで、演奏に反映させることができるようになります。

 自分の中に存在しない感情は表現しようがありません。

他者の気持ちに共感し、豊かな人間性を育むことは、演奏の幅につながるのです。

 

指揮者の偉大さ|まとめ

 指揮者のすごさについて、世界のオザワの言葉をお借りしながら、指揮者の仕事と求められる能力から考えました。

指揮者のすごさはスコアを見るだけで音が聴こえ、楽曲に自分なりの解釈を加えられる音楽的な専門性だけではありません。

演奏家をまとめる調整力やカリスマ性、自他の感情を理解できる人間性など、人としての総合的な力を必要とされるのが、指揮者という役割です。

指揮者が生半可な覚悟では手出しできない、崇高な仕事であることがご理解いただけたのではないでしょうか。

 

 小澤征爾さんは2024年2月6日にこの世を去りました。

偉大なマエストロの演奏を生で聴くことは叶いませんが、マエストロが残してくれた数々の音源が、音楽の神髄を追求し続けた生き様を示してくれています。

 

 最後に一つ音源をご紹介します。

チャイコフスキー作曲「弦楽セレナーデ ハ長調 Op. 48. 第一楽章」です。

2011年、新進気鋭の若手演奏家とのコンサート映像です。

一音一音に想いが込められた小澤の指揮と、それに呼応する若手のコラボレーションが素晴らしい名演ですので、是非お聴きください。

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